たかが健康診断。 されど健康診断。 侮らないでください。 背後から忍び寄る人工透析
その命、軽く
見積もらないでください。
初めまして、
よっしーと申します。
私は介護士として
これまで25年間、
勤務してきました。
日々、お年寄りの生活を
サポートしているんですが
これまで幾度となく
「突然の別れ」を
迫られました。
命の重みを感じながらの仕事。
私自身、人のお世話が好きなので
この仕事にとても
やりがいを感じており
とても誇りを持ってやっています。
ただいつも起こる決別は
言ってしまうと赤の他人ですが
ついに他人事ではない
大切な人物との別れが起こりました。
そうです。
身内。
母の死です。
今回の話は私の身に直接、
起こったことではありませんが、
私の人生経験の中で
大変ショックな出来事であり
油断せず対応していれば
防げたことであると感じています。
実際に私のアドバイスの元
行動された方が、
早期発見により
一命を取り留めたケースも
ありますので、
どうか他人事として読むのではなく
自分ごととして
読んでいただけたらと思います。
突然ですがあなたに質問です。
「人工透析」
という言葉を聞いたことがありますか?
知っているという人は
スルーしてもらっても良いです。
Brainを読んでいる方は
若い方が多いので
もしかすると初耳という人が
多いかもしれません。
昔と違って今は健康志向で
普段の食生活についても徹底して
気をつけている人も増えています。
あなたもそうかもしれません。
でも本当に大丈夫ですか?
若いから、で済ませてないですか?
何も異常ありませんか?
私の母も異常はありませんでした。
表面上は。
そんな母が40年以上も前から
慢性腎不全を患い
人工透析を受けていました。
慢性腎不全とは
腎臓の病気です。
ここで腎臓について
少しお話しします。
私たちの体には腎臓が
二つあります。
その二つの腎臓の機能が
果たせなくなった末期が
腎不全
と言います。
腎不全になると
腎臓の働きが10%以下になり
二つある腎臓が血液のろ過が
充分に行えず、
水分や老廃物のコントロールが
できなくなってしまったために
人工的に血液の浄化を行う、
「人工透析」という医療行為が
必要になります。
腎臓はあなたの
背中側の腰の高さに
左右一個ずつあるこぶし大くらいの
大きさの臓器で血液中の老廃物を
ろ過して尿をつくる言わば
体の排水処理場です。
心臓が一回の拍動で腎臓に
血液の4分の1が送り込まれて
約、150から180リットルの
尿の素が作られて、
ろ過が繰り返されます。
最終的には1,5リットルまで減って
トイレで用を足した時に出る
尿として排出されます。
ここからは専門的な話ですが
豆知識として知っておいて
損はしないので、
腎臓の概要について
記しておきます。
腎臓の主なはたらき
・尿を作り出す
・血圧を調整する
(血圧を上げる、下げる両方の物質を作り出す)
・赤血球をつくる
・カルシウムの吸収を増加させる
ビタミンD3を活性化するなど
[腎不全とは]
急性腎不全
・急激に腎機能が低下する
⇨早急に適切な治療を行うことで
機能回復が見込める
慢性腎不全
・長年にわたって徐々に機能が低下する
⇨自覚症状が現れず早期発見が難しく
一度失った腎機能の回復は困難
私の母は働き盛りの
30代から40代の時に
会社の健康診断の尿検査で
タンパク尿が出ていたにも関わらず
何の症状も出ていないし
普段の生活に支障もなく、
不快なこともかった為に
C判定の医師の診察や
保健指導が必要や
健康診断のD判定の
要精検(要精密検査)を
放置してしまったのです。
働く一方で自分の大切な体と
向き合う暇がなかったのか?
仕事を休んで病院に行くのが億劫だった?
これくらい大したことがない、
自分は大丈夫!
と思ったのでしょう。
私が高校を卒業して
就職を控えている頃には
すでに母は最悪の状態で
入院していました。
一時は助からないとも
医師に宣告されていた病状の中、
母は人工透析という医療行為で
腎臓の代わりに
「ダイアライザー」
という透析器を用いて
週2から3回治療を
受けて生きてきたのです。
そうした母のとても煩わしい
制限された生活を
傍で見てきたからこそ
声を大にして言いたいー
健康診断で引っかかった人は
どうか精密検査を受けて下さい。
これは私からの切実なお願いです。
とりわけ大切なことを
「肝腎かなめ」
と言いますが
これは腎臓が私たちにとって
極めて重要な臓器であることを
表している言葉です。
[人工透析は想像以上にハードです]
透析をするためには
自分の血管の動脈と静脈をつなぐ
シャント手術を受けなければなりません。
これをすることで
十分な血液が確保できるからです。
シャントはメンテナンスしていても
血管がだめになってしまうことがあるので
何年かごとに違う場所に作り変える為
ツギハギだらけのブラックジャックのような
傷跡で母の腕や足はボコボコでした。
[食事制限と管理]
週3回で一回の透析時間は
3時間から5時間くらいですが
それで全ての腎臓の働きを
代行することはできません。
そのために、日々の食事の管理による
調整がとても大切です。
これは色々な制限もあるために
しっかりと向き合って
行かないといけません。
透析では血液が1分間に
150から200 cc流すという運動を
しているのと同じくらい
とても体力のいる治療です。
母は透析から帰ってくると
今日は引きすぎた
(キレイにろ過しすぎた)
と、言って体がたいそうだと
言っていました。
※たいそうとは大変、ひどい状態
・1日3食食べる。
・お米やパンなどの主食を十分に摂る
・揚げ物や炒め物などの油調理を摂る
・少食なら砂糖や粉飴などでエネルギーを摂る
[良質なタンパク質を摂る]
適度な良質のタンパク質を摂っていないと
透析に負けてしまうために、動物性タンパク質である
魚や肉類、卵を食べるのが
おすすめですが、
取りすぎには気をつける。
[塩分・水分を控える]
腎不全なので尿量は減ったり、
出なくなり体の中に溜まってしまいます。
水分を摂り過ぎると体重増加になり、
むくんだり、呼吸困難や
血圧上昇などの
症状が現れるので母はいつも
舐めるように
水分を摂っていました。
夏は氷を舐めていたのを
覚えています。
暑い時もガブガブと
水分を摂れないですし
水分の多い食べ物も
控えないといけないので
コントロールするのが
難しいと思います。
[カリウムを控える]
カリウムを摂りすぎないために
母がしていたことは
野菜は茹でて食べるということです。
カリウムは水に溶ける
という性質があるので
野菜や芋類は
細かく切って水にさらすか
茹でこぼすのがベストな食べ方です。
カリウムは高すぎても低すぎても
生命に危険を及ぼすのでもちろん
定期的に検査をして
確認もしています。
[リンを控える]
腎不全になるとリンを尿として
排出する力が弱くなり
体内に蓄積されやすくなるので
特に母は加工食品の
インスタントラーメンや
ハム、かまぼこなどの製品、洋菓子、
乳製品などは気をつけていました。
以上のように
普段の食生活には気をつけることが
いっぱいあり、制限もあるのは
仕方ないことです。
[人工透析を受けていると身体障害者]
体の中の機能が不全ということで
母も身体障害者手帳を持っていました。
さまざまな社会保障、
福祉制度のおかげで
長い間、治療を継続させてもらい
みなさんのおかげで
なくなる寸前だった命を
つないでもらえてきたからこそ、
頑張って生きてきたのだと思っています。
[透析を30年受けた表彰状]
母と一緒に透析を受けてきたお友達は
年々と過ぎるにしたがって
亡くなったという
話を聞いてきました。
その間、母もずっと
元気でいたわけでは
ありません。
亡くなる数年前には
心臓の弁が石灰化していて
血液をリズム良く
送り出せていないことがわかりました。
それが原因で血圧が低くなりすぎて
透析ができなくなる
事態が生じたのです。
それは生命の危機でした。
透析ができないと体の中には
あっという間に毒素が溜まり
体が浮腫み尿毒症になってしまいます。
考えている余裕はなくて
即、心臓外科の先生に
お世話になることにしました。
手術室に入ったら
もう生きて戻ってこないかも知れない
そんな最悪なことも覚悟しながら
人工弁の手術を決断しました。
母はどんな心情だったんだろうか?
怖かったんだろうなぁ
でも、そんなことを考えるどころでは
なかったのだと思います。
透析できないと死んじゃう
そこは一番わかっているから
そんな表情も素振りも見せずに
手術に挑みました。
ドクターは名医と聞いていましたので
全てを託しました。
6時間もの長い手術でした。
どうして過ごしたかは
あまり覚えていないのですが
職場にも、もしかしたら
最悪のことになるかも知れないとは
告げてきたのですが
無事に生還してきました。
取り出された心臓の弁を
見せてもらったのですが
歯、そのものでした。
前歯のようでした。
弁というのは
イソギンチャクのように
ふわっふわっと
開いたり閉じたりしているもので
それが石灰化して
歯のようになっていたから
血液を送り出せなかったのです。
このように体が正常でないと
次から次へと
異常をきたしてくるものなんです。
その後、母はしばらくして
認知症になりました。
仲良くしていたお友達も
段々と亡くなり
母の行動範囲も減ってきたせいだと思います。
体力も無くなるし
好きだったこともしなくなる。
透析を始めた頃は
スイミングにも通っていましたし
和裁もあらためて習いに行っていて
行動的で社交的でした。
近くのデイサービスに入浴目的で
通っていた時は膝もかなり悪くなり
車椅子生活になりました。
体力の減退でその後は
寝たきりになり食事も
口からは食べれなくなり
チューブ栄養になってしまいました。
透析もして食べれない
こんな重度の母を施設が
とってくれるのは容易ではなく
探しても探してもなくて
困っていたのですが
長年お世話になったいた
透析専門の病院に
入院させてもらえることになり
最後の時まで居させてもらえたのです。
本当に感謝しかない。
母だから特別だよ!
と院長先生が言ってくれたのです。
こんなことを波乱万丈というのか
分かりませんが
母が精一杯生きた証が
透析30年の表彰状なのだと
今、あらためて思えます。
[どうしたら回避できるのか?]
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